星ホシナ~幼少期~
お前の幼少期なんて興味ない!、、、でしょうが、そう言わず少しお付き合いください🙏🙏
私は幼稚園生のころから自分が太ってると思ってました。
いや、実際そのころは太ってました笑
で、いじめられるほどではないけど、「デブデブ」とからかわれた記憶があります。
プールの日が嫌いでした。顔を水につけるのが怖かったんです。
だからわざと水着の入ったバッグをおうちに忘れたふりして置いてくるような子でした。
星ホシナ~小学生~
小学生になると、いつも勉強ができる子のグループにいました。
今では考えられないでしょうけど、昔は成績順で席が決められたりして、誰が良い点数だったか一目瞭然🌀🌀
成長も早かったので、わりとなんでも卒なくこなす優等生でした。
小学生のころの記憶でよく覚えているのは、
●学級長をやらされてとてもイヤだったこと
●一度30点くらいの点数を取って、それを皆に見られてすごく恥ずか
しかったこと
です。
1.学級長をやらされてイヤだった
私は幼少期から現在に至るまで、目立つことがイヤ、人前で何かやることがすごく苦痛なのです。
そして先頭に立って引っ張っていく、これも苦手。
だから学級長なんて絶対にやりたくなかったんです。
でも、先に書いたように優等生タイプで、成績が良いのが一目瞭然な環境だったので、子供って多分それだけで「代表にふさわしい」みたいに思ってしまう。
学級長は生徒の投票で決まるんですが、ある学期やらなくてはならないハメになりました。
ほんと~にイヤだったのを覚えてます😫
2. 今までは採ったことがないような点数をとって、それを皆に見られて
恥ずかしかった
ちょっと病気をしてしばらく入院していた時期がありまして、退院して割とすぐにテストがあったんですね。
で、30点台だったんですけど、点数が書かれた答案用紙を先生の周りに集まって呼ばれた人から受け取っていくんです。
で、点数が書かれた部分が皆に丸見えで過去最低の点数を皆に見られてしまったんですね。
誰かが 「星さんが30点だって、、」
と言ったのを今でもよ~く覚えてます。
当時は優等生で、皆からもそういう風にみられているのを自分でもわかっていたから、あの頃の私にはとてもショックで恥ずかしい出来事だったんですね~
30年以上経っても鮮明に覚えてますもん!
(ただこの後、テストの点数が悪いのが恥ずかしいなんてカワイイわ!という時代がやってきますが😅)
子供は子供で悩みもあってたいへんと言いますが、本当にその通りだと思います!
周囲から優等生と見られていたのを感じて、子供なりにプレッシャーを感じていました。
いつもそれなりの点数を取らなきゃとカンニングまでしてました。
プールの授業も相変わらず嫌い、人前で歌わないといけない音楽のテストも嫌い、私は集団行動も苦手だったから、理科の実験とかで何人かでグループを作ってやらないといけないことも本当にイヤでした。
おまけに幼少期に太っていてそれをからかわれていたから、体型のこともずっと気にしてました。
ほかの女子より体重が多いのが悩みでした。
確かに体重はほかの子より多かったけど、成長期が早かったので背がどんどん伸びていたんです。
比べてたのは自分よりも10センチも15センチも背が低い子たち。
でも、身長と体重のバランスなんて小学生だった私にはよくわからなくて。(誰も教えてもくれなかったし😫)
大人になってからその頃の写真を見てびっくりしたのを覚えてます。
全然太っていなかったから!思い込みってすごいですね~
あの頃は完全に自分のこと「おデブ」と思ってましたから。
男の子と話すのも苦手だったし、自信なんてこれっぽちもなかった。
星ホシナ~家庭環境~
家庭環境はというと、良くはなかったですね。
母は絵に描いたような母で、働き者で子供のためになんでもやってくれる母でした。週6で働いて、しかも家事も全部一人でやってましたね。母ってほんとに強い!
私なんかぜったい無理~~🤷♀️🤷♀️と思いますもん。
うちの問題は父でした。仕事が続かない、短気、コミュニケーションが苦手という人で、母は苦労してました。母は強く言えるタイプじゃなかったので、ひたすら耐えるというかんじでした。
父のことで思い出すのは、機嫌悪そうな父、子供に無関心な父、母に八つ当たりする父、飼っていたわんこが言うこと聞かないのに腹を立てて叩く父。そんなのばっかです。
でも、ある時気づいちゃったのんですよね~。
私って父の性格に似てるって。
仕事が続かない(←まんま)、短気(若いときは短気でした)。私はコミュニケーションがすごく苦手というわけじゃあないけど、気が小さくて人見知り、HSP気味なのは父譲りな気がします。
今は気にしてませんけど、気づいたときはけっこうショックでしたよ。父が嫌いだったから。あんなに嫌いな父に自分が似てるなんて認めたくなかったな~。
大人になった今なら父の気持ちがわかる気がします。
父はやりたいことがやれない、何がしたいかもわからない、職場の人間関係がうまく作れない、そんな父自身と父の人生に怒っていたんだと思います。悲しかったんだと思います。こんなはずじゃないのにって。
母が言ってたことがあります。
「父はいつも商売(その時によって業種は違う)を始めるって言って仕事辞めるけど、準備も何もしないで先に仕事を辞めてしまう」
本当のところは父本人しかわからないけど、父もたぶん本当にやりたいことを探してたんだと思います。少し前の私のように。そして何となくこれかなってゆうのが見つかる度に妄想を膨らませてきっとこれでうまく行くって思ってとりあえず仕事を辞めてしまう。でも結局やらない、勇気が出せなくて、自分には無理だって腰が引けて。私そのものだな笑
これ書いてて思ったんですけど、本当に少し前の私そのものです。
若い時、こんな環境で一生懸命育ててくれた母に、私もよく八つ当たりしてました。なんかいつも不機嫌でした。父そのものでした。
今、カフェでこのブログ書いてるんですけど、泣きそうになりました。
あ~あ、父は私で、私は父なんです。父の無念な思いを断ち切りたいと今、心底思いました。
昔の話になると、結局父の話になっちゃうんだな~。
~終わりに~
今日はちょっと長くなってきたのでこれくらいにしておきます😊
正直まだまだ書きたいことが湧き出てきそうです😅
私昔から”書くこと””読むこと”が好きだったんですけど、やっぱり書くことっていいですね~。改めていろいろ気づけました!
今はまだほとんど誰も見てくれてない私のブログだけど、書いてるときは誰かが見てくれる設定なので、あの時の想いや経験をわかりやすく書こうと考えてると自然と新たな発見、いろいろな気付き、気持ちが湧き出てきます。
いつの日か読んでくれてるあなたへ
「読んでいただいてありがとう😊😊」